HYLOGICS

今後は各分室にコンテンツを移して、ここは雑記や暮らしを中心としたライフログ的な何かにしていく予定です。

コンテクストと想像力の問題

概ねコンテクストの違いによって言葉のニュアンスは変化する。

例えば「今日中にやっておいて」と仕事を依頼されたとき、それが本当に「当日の23:59まで」と考える人はそんなにいないのではなかろうか。大体は「当日の終業まで」もしくは「翌営業日の始業まで」のどちらかである。で、どちらが正しいのかというとそれはコンテクストによるわけなんだけれども。とはいえ、さすがに「今日」が「明日」や「来週」になったりはしない……いや、そういうこともあるのだろうか?

まぁ、冒頭の例程度ならその場で質問すればいい話なのだけれども、こういうことは日常でも大概にして起きていることで。「○○しておいて」と依頼したつもりが「△△しておいて」と受け取られたり、場合によっては「××しないように」と受け取られたりして本意とは違う方向に事態が動いてしまったりすることは少なくないのではないか。

もちろん言葉というものは厳密に取ればこれこれこういう意味というのはあるので誤解を招く曖昧な表現や正しくない表現は避けるべきなのだけれども、「こういう状況ではこう表現するのが適切」というものもあり難しいところではある。さらにややこしいのは表現する人間も物事を正しく理解していなかったり、正しい表現の仕方を理解していなかったり、また表現を受け取る側の想像力や理解度にも差異があり、さらに立場によって受け取り方が変わったりと。

ああ、もう面倒くさいな!!

……ということを念頭に置いて、「相手は何を伝えたかったのか」「その表現で相手はどう受け取るのか」といったことを念頭において意思の伝達を行うことこそがコミュニケーションの妙なのではないかと思う今日この頃。「なんかこの人に上手く話が伝わらないな」と思っていたら言葉の受け取り方が違っていた例はある。そういう場で自分や相手の価値観を矯正することは難しいからね、相手に(それなりに)伝わる言葉を選んで話をする必要があるんじゃないかな。

繰り返しになるけど、もちろん基本的に「正しい言葉」であることが大事だとは思う。とはいえ、私の場合は面倒くさがりなので「あ、この人正しくは理解してないな」と思っても結果が想定した範囲内に着地するところにまで誘導出来ればもうそれで良いかと妥協することも多い(というかほとんど)。世の中割とそんなものではないだろうか。

この文章も書いてていまいち本意が伝わるか自信がないけど、そんなに逸脱したことは言ってないんじゃないかなーということでこのエントリを締めることにするのであった。

追記

これも書いておかないと無責任かなと思ったので書いておきますが、コンテクストから切断された言葉が拡大解釈されることもあります。一例としては「コミットメント」が「約束」と訳された挙句「プロミス」と誤用されたりとか。この話は長くなりそうなので割愛します。