人工知能なる言葉にみんなが実際に求めているものは知能じゃなくてインターフェースだよねって話
先日ようやくFire Tv Stickが届きまして、音声認識を試していたところそれなりに精度があることに感心したのですがそういえばこの「音声認識」なるものは一時期人工知能の分野で研究されていたっけなあと思い出しました。
昔は人間の声をコンピューターが解釈するというのはある種の未来の物語だったような気がするのですが実際にそれが手元に届くようになってもあまり「音声認識すごい!」って話を聞かないですね。まぁSiriでもう慣れてるからって気もしますが、あれはどちらかというと音声認識そのものよりそのチャーミングな振る舞いこそが取り沙汰されていた気がします。
さて、ちょっと前から人工知能が(また)取り沙汰されるようになってきて、「シンギュラリティ」もすっかりバズワード化として定着したような感があります。というかシンギュラリティってそもそも人工知能がメインの話じゃなかったよね?
個人的に人工知能については色々と思うところはあるわけで、今までは
「私達がA.I.、つまり人工知能といった時に連想するものとして、ドラえもんだったり鉄腕アトムだったりロビタだったり人によってはマルチやセリオ*1だったりするわけだけど、実際のところ人工知能というものは例えばカーナビだったりザキ唱えまくる神官みたいなものでおおよそ知能や知性というものではない、あれの何がインテリジェンスだというんですか」
みたいなことを言ってほそぼそと人工無能を作ったり壊したり壊したりしていたわけですが、結局のところ知性なんてものは皆さんご存知だと思いますがチューリングテストや中国語問題を考えれば分かる通り知性があるように振舞っていれば本当に知性があるかどうかは判らない、つまりそういうインタフェースさえあれば勝手に人間はそこに知性を見出してしまうのです。
そうなると長門有希が「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」と名乗っていたのはなるほどなあと膝を打つ思いなんですがアレって何か元ネタがあるんでしょうか。この文脈で考えると長門はハルヒが言うところの宇宙人じゃなくてロボットということになってしまう気もします。ちなみに私は原作は消失までしか読んでいません。
色々考えると結局知能や知性とはなんなのよって話になってしまうし人工知能研究をしている人たちはそれを研究していた記憶があるんだけど、そもそも大多数の人間は自分の知性とも他人の知性とも向き合うことが出来ない(そのくせ自分は知的だと思っているような)おおよそ知性とは遠く離れた存在なので、人類の大半はオルタナティブなインテリジェンスを必要としていないのかもしれないなとも考えます。
カーナビが標識読めてドライバーの音声を認識出来るようになればそれが現実的な人工知能の進歩なんじゃないかなと私は思いますが、今「人工知能マジヤバイ」って騒いでいる人たちが認めることが出来るのかはちょっと疑問ですよね。
(「人工知能マジヤバイ」ってのは、例えば人工知能の発達で工場の単純労働者が失業するなんて話は今まで人間じゃないと出来なかった分野の作業が機械で出来るようになるという文脈であってそれは知性を持ったロボットが登場するという話ではないんだけど、こういう話になると何故かファンタジーな話をしたがる人たちがいるよねってそういう話です)
*1:まぁ、私的に